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『生産者 津野さん』遺伝子組み換え飼料、抗生物質などは一切使用せず、えさと水にこだわりました。地元天然水、煎り大豆、ゴマ、野菜、海藻、かき殻、カニ殻、にんにくなど自家配合しています。のびのびと遊ばせてストレスを与えないよう大切に育てています。 鶏達にとって、より清潔で快適な、限りなく自然に近い環境を与えることは、とても大切なことだと、考えています。 とっとこ卵どでは、飼料はもちろん、自然環境、太陽の光、空気や水にもこだわり、より自然な環境で育てています。 安全な物を、安心して食べることができるように! |
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遺伝子組み換え飼料、抗生物質などは一切使用せず、えさと水にこだわりました。地元天然水、煎り大豆、ゴマ、野菜、海藻、かき殻、カニ殻、にんにくなど自家配合しています。だから、おいしい卵になるんです。
クセのない、卵本来の風味をお楽しみください。
ゆで卵、サラダ、温泉卵、クリーミーな泡立ちは、ケーキやお菓子等の素材としても最適です。
とっとこ卵どの自然卵は、黄身が卵本来のレモン色、上質な海藻ヨードもたっぷりで、卵特有の生臭さがありません。
コレステロールも安心で、無洗卵だから日持ちがよいことも特徴です。
賞味期限内であれば生が一番おすすめ。
賞味期限を過ぎた場合は加熱処理してからお召し上がりください。
とっとこ卵どの鶏達は、雄と雌が仲よく暮らしています。だから卵も生きています。
有精卵とは、その文字通り受精して、雛にかえることができる生命力がある卵のことです。
雄と雌が一緒に飼育された環境で、雌が産んだ卵のことです。
有精卵は雄鶏と一緒に飼育されるため、雄鶏の精子が入り出来た受精卵です。
混合飼育することで、自然に交尾し、のびのびと餌をついばみながら、自然に卵を産むのです。
無精卵と有精卵では、栄養価は同じといわれています。
ですが、なにかが違うんです!なにかが!!うまくは説明できませんが。
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健康で丈夫な鶏を育てる為に、生まれたばかりのヒナから、愛情たっぷりに育っています。
卵の殻の表面は、クチクラという蛋白質の薄い粘膜で覆われています。
これが洗卵すると、剥がれ落ちてしまいます。クチクラのなくなったたまごは、細菌が滲入しやすくなり、鮮度が徐々に落ちてしまいます。
とっとこ卵どでは、このクチクラ層を残すために、水洗いすることなく、無洗卵の状態で出荷しています。
ぜひこの機会にとっとこ卵のごちそう卵をぜひご賞味あれ!!
原始時代、人間が最初に「たまご」を食べたのは、おそらく人がサバンナで地上生活を始めた頃(約500万年前)といわれています。その頃は、鶏(ニワトリ)ではなく、地上に卵を産むことから採取しやすいダチョウの卵を食べたものと思われます。
また、中身を食べた後のダチョウ卵の殻では、装飾品(小さいリング状の首飾りと思われるもの)を作っていました。
これは、アフリカ東海岸の中央ケニアの岩窟で発見されていて、年代は約4万年前と想定されています。
このころの日本では、残念ながら、卵を食べていたという文献などは見当たりません。
狩猟により、鳥類の肉も食べていたことから、巣で見つけた卵も食べられていたのではないかということも考えられます。
日本では江戸時代になり、たまごを食べるようになったと言われています。
江戸時代には、ニワトリだけではなく、「ホロホロ鳥」の飼育も行われていました。
ホロホロ鳥とは、原産国がアメリカで、ニワトリよりも小型です。
ホロホロ鳥は、オランダ船にのせて日本へやってきたと言われています。
その後、採卵や食鳥を目的として、各地での飼育が試みられました。
しかし、ホロホロ鳥は熱帯の鳥であることから、日本は季節変動が激しいので、飼育が難しかったのです。
なので、普及には至りませんでした。
ニワトリは紀元前100年頃に朝鮮半島から伝わりましたが、日本は仏教の影響で肉食を禁忌する風習がありました。
ニワトリが産むたまごもなかなか食用とされなかったようです。
命の始まりである卵を宇宙や地球に見立てて、これを食べるのは悪とする考えも生まれました。
卵に対する信仰心や食べることに対する恐怖心、たまごを食べると罰があたるなどの考えが広がりました。
しかし、江戸時代に入るとたまごは、一般的に食べられるようになりました。
卵に対する信仰心や恐怖心も除々になくなっていったようです。
天秤棒の桶に卵を載せて「たま〜ご、たま〜ご」という売り声で街中を売り歩く「たまご売り」の商人もでてきました。
しかし、まだまだ庶民には手の届かない特別な栄養食で、「高値の華」といえる存在だったようです。
今では、どこの家庭の冷蔵庫にも常備されている「たまご」も、そうなったのは昭和30年以降のことです。
一般的に、たまごを食べるようになったのは、この時代は食生活に対する日本人の意識が大きく転換し栄養改善普及運動も盛んになり、食生活の欧米化が一気に促されて、数々の栄養素の中でもタンパク質やカルシウムが重要視され、肉・卵・牛乳・乳製品を積極的に食べることが推奨されました。
その時に、「タンパク質が足りないよ」をキャッチフレーズに、特にもてはやされたのがたまごでした。
遠足行楽旅行には欠かせないゆでたまご、温泉地名物の温泉たまご等々、たまごこそ健康の象徴、たまごを食べていれば健康になれる、と珍重されました。
この頃には、たまご料理も色々作られるようになり、江戸時代の天明5年(1785年)に出版された有名な料理本である「万宝料理秘密箱」(まんぽうりょうりひみつばこ)という本の中にある「卵之部」(たまごのぶ)にある、めずらしいたまご料理の記載部分を掲載した「卵百珍」(たまごひゃくちん)が有名です。
親子丼や茶碗蒸しを代表に、多様な卵料理も考案されました。
そして、明治時代の末期頃には、和食の中の卵料理もほぼその地位を確たるものにしました。
「卵百珍」では、103種類のたまご料理が紹介されていて、黄身と白身がひっくり返ったゆでたまごである「黄身返しのたまご」は、その中でも特に有名な料理ですよね。
ニワトリは動物学的分類では、「脊椎動物門−鳥類綱−鶉鶏目−雉鶏科−鶏属−鶏」に属します。
ニワトリは東南アジア、インド地方に野生している4種の野鶏(ヤケイ)が家禽化(かきんか)されてできたと考えられています。
その4種としては、マレー、インド、中国南部をはじめ、アジア地域に広く分布する「赤色野鶏」(せきしょくやけい)、セイロン島産の「セイロン野鶏」、インド南部の「灰色野鶏」(はいいろやけい)、ジャワ島に生息する「アオエリ野鶏」が知られています。
これらの野鶏の中で「赤色野鶏」だけが鶏との間の一代雑種に繁殖力があり、他の3野鶏には繁殖力がないことから、赤色野鶏のみが「現在の鶏の祖先である」という説が有力だといわれています。
鶏は「家禽化」(かきんか:人間に飼育されること)された初期から食肉用、卵用と区別して飼われていたのではないのです。どちらも兼ね備えたものでした。
しかも、ある地方では鑑賞用や宗教上の儀式用または鶏同士を戦わせる闘鶏用(とうけいよう)としても飼育されていました。
鶏を「経済動物」として実用化に向けた育種を行ったのはローマ帝国時代からです。
近代的な育種を始めたのは比較的新しいです。
卵を産むことだけの専用の鶏「卵用鶏」(レイヤー)は、約160年前、食用肉専用の鶏「肉用鶏」(ブロイラー)は、約50年前からといわれています。
鶏(ニワトリ)が家禽(かきん)として飼育されだしたのは、4000年近く前だといわれています。
順時、世界各国に飼育の輪が広まっていきました。
事実、日本では、弥生時代の貝塚から鶏の骨が出土しています。
そして鶏は毎朝ほぼ定時には鳴くことから、「時告烏」と称して神聖視もされ、鶏肉も卵も通常は賞味しない習慣がありました。
また、日本の古代神話として、古事記の中に、天の岩戸(あまのいわと)にお隠れになった「天照大神」(あまてらすおおみかみ)を現世に呼び戻すために鶏を鳴かせてみせました。
いわゆる、「常世の長鳴鳥」の伝説です。
時代が奈良期に入ると、仏教の訓えから、肉食禁止令が出ました。
その中にどういう訳か卵も鶏も含まれていました。
しかし、庶民は利口者、鶏は大事な「時告烏」と称して飼育し、雉(きじ)肉と偽って食べていたといいます。
また、先人達は、卵が栄養の塊(かたまり)であることも知っており、病人や病後の体カ回復の妙薬として密かに賞味して、殻は土中に埋めたといいますそれが、室町時代になると、誰言うことなく卵は生きものでないとの風評が世間に広がり、待ってましたとばかりに鶏の飼育も急激に増えました。
朝廷からの「殺生戒」のお咎め(おとがめ)もなく、またたく間に日本各地に卵の食習慣が広まり、卵の生産量も増えました。
戦後、食の洋風化が急速に進み、昭和30年代に入ると、米国から新品種の養鶏 の新技術が導入され、以後、品種改良も重ねられて、今日では日本は世界屈指の生産と消費国となりました。
価格も需要と供給のバランスから必然的に安くなり、我が国の食品業界での、価格の優等生の名を持ち続けています。
エジプトの古文書によれば、紀元前1500年ごろには、すでに鶏がほぼ毎日のように産卵していたという記録が残っています。
この記録は、野鶏(やけい:野生の鶏のこと)が産卵期に通常5個〜10個程度のたまごしか産まないことから考えると、当時すでに鶏が採卵用に品種改良されていたことになります。
産卵したたまごを巣から取ることにより、続けて産むようになるんです。
また、ローマでもたまごを多く産ませるために鶏の品種改良が2500年前には始まっていたという記録も残っています。
その後、鶏は鳴き声(長鳴鶏)や尾の長さ(尾長鶏)を競うといった観賞用としても飼育され、商業用の「採卵養鶏」が始まったのは1850年代のイギリスといわれています。
この当時、鶏肉は食用に、鶏卵は食膳や薬として利用されていました。
しかし、1336年に仏教の肉食(にくじき)禁止により、「牛馬犬猿鶏の肉を喰う無かれ、犯すものあれば罰する」という布告が天武天皇により出されました。
1390年には「殺生禁断の令」が聖武天皇により出さました。
これにより、畜肉を食べる風習はなくなりました。
ただ、その後も鶏(ニワトリ)と兎(ウサギ)は次のような「こじつけ」をして食べ続けられていたようです。
仏教の「肉食禁止」ということから、日本では仏教伝来以降、明治まで肉食がタブーとされていました。
建前上は四足(4本足)の動物は口にしませんでしたが、鳥類(2本足)食およびサカナはタブーでなかったため、イノシシを「山クジラ」というように呼び、ウサギを鳥類に見立てて1羽、2羽と呼んで食べたという経緯があります。
ウサギは「ウ(鵜)とサギ(鷺)」だから実際にはウサギ1匹が2羽になる勘定です。
四足のウサギは、跳ねるところから「これは獣ではない、鳥なんだ」と言って食用にしていました。
このことから、数え方も鳥と同じように「1羽」、「2羽」と数えるようになったといわれています。
鶏(ニワトリ)が家禽として飼育されるようになった(家畜化された)のは、約4000年前に南アフリカで行われ、環境への高い適応力から世界に広がりました。
家畜化された家禽が最初にイギリスに入ったのは紀元前1〜2世紀です。
これらが現在のアメリカ地域に渡ったのは16世紀で、アマゾン地域の南アメリカに伝わったのは1709年より以前であったといわれています。家禽は広く人気を得ました。
19世紀半ばには、イギリスおよびアメリカで第1回の家禽品評会が開催されました。
これらの品評会は、今日の家禽の品種の確立に大きく貢献しました。
近代養鶏に用いられる鶏の品種の多くは、約130年前、主に卵生産を目的とする小規模養鶏産業が盛んであったアメリカ合衆国で発展しました。
当時は孵化後、数週間は鶏の雌雄の分別ができなかったこともあり、鶏肉は1940年までは卵生産の副産物でした。
第2次世界大戦後にアメリカ合衆国で養鶏産業に劇的変化が起こり、産卵鶏と肉用鶏の分離と発展が始まりました。
これが「近代養鶏」のはじまりです。
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